2006年06月

2006年06月11日

奇跡では……勝ち続けることは出来ませんよ。

 駿台の授業で(いや駿台に限ったことではないが)胸式呼吸ですごい苦しそうに授業されるとこちらまで息苦しくなってくる。リラックスした腹式呼吸をマスターしてほしいものだ。

 『ズッコケ三人組』っていう本のハカセってキャラクターがトイレで勉強していたが、あれは実によい。というのも人間は骨盤を若干前傾させるようにして座ると坐骨がいすに当たる(だから”坐”骨なわけだが)。さらに前傾をきつくしてもハムストリングスの股関節方面(腿の裏の尻のほう)をいすに当てて坐骨があたるのを回避できるが、多分腰椎をそらせすぎていて長時間保持するには向かない。しかしハカセの座っている(と思われる)洋式トイレだと坐骨のところがちょうど穴となっていて、うまくハムストリングスが面であたるようになる。ただ、長時間座ったことがないので長時間座ったときの影響はわからない。

 日本人が英語とかの発音で苦労するのやっぱり母音だと思うんだけど、それってヤ行とワ行の発音を減らしたからとういことはないのだろうか。この2行のなくなった発音って現代では両方ともイとエにされているから母音に近いものがあっただろうと思う。まぁほかの言語の母音と同じでは無いだろうが、母音や発音に対する感覚みたいなやつが衰えたのではないかと思った。

 言い訳しないようにします。いや、ホントいままで言い訳しすぎました。言い訳ってされるとホントうざいよね。また、言い訳と理由説明は一見似ているようですが、まったく違うものです。言い訳はその場を逃れるための方便、理由説明は正当な理由があるとき、と定義したいと思います。

 会話やメールで人がわかるように話す・書く。私はえてして会話やメールで省略しすぎたり極端な発言をして誤解を招くことが多いので改善したいと思う。

 人間の記憶にはエピソード記憶・短期記憶・意味記憶・プライミング記憶・手続き記憶があるそうですが(『記憶力を強くする』)、理系・文系という分類はエピソード記憶と意味記憶のどちらが強いかということに基づいているように思います。
これらの記憶について簡単に説明しておくと
エピソード記憶というのは「どこで誰が何をした」というようにものごとを一連の流れ(エピソード)で記憶したこと
意味記憶というのは九九のようにただ単に記憶したこと
です。人間は12歳ごろまでは意味記憶が強く、その後徐々にエピソード記憶が優勢になってくるそうです。だから九九を小学校で覚えさせるというのは、非常に理にかなっているというわけです。
理系科目の数学・物理などは定義から定理を導き出したり、運動方程式から運動量の変化=力積や力学的エネルギー保存則を導き出したりといったように過程を踏んでエピソード記憶の側面が強く、文系科目とくに地歴などは最低限度の知識は暗記しなければ話にならない(しかもその量が多い)というようになるのです。
また授業というものは単純な意味記憶にエピソード性を加えるものと見ることができます。これを習ったときこんな授業だったなぁと授業をビデオのようなイメージで思い出せばより覚えやすくなることでしょう。

 前このブログで欧米は”押す”のに対し日本は”引く”という話をしたが、今回は怒りを感じたときのボディアクションについて書く。日本人は大抵怒りを感じたとき、何かを地面にたたきつけたり地団駄を踏むなどとベクトルが下を向いている。それに対し欧米では腕を振り上げるという行為というように、ベクトルが上を向い行為で怒りを表現することがある。あれには非常に驚いた。日本人の私としては腕を振り上げるという行為自体したことがなかったし、それで怒りを表現するなどというのはもちろんはじめて見たからだ。具体的な例としてはタイガー・ウッズが惜しいパットをミスしたときパターを上に振り上げる(彼はクラブをたたきつけることもあるがそれはアジアの血も入っているからということで…)や、F1で周回遅れのマシンがブルーフラッグが出ているのになかなか譲らないときなどに腕を突き上げてアピールするとき(まぁあれくらしか外に見える行為ができないという話もある)などだ。また指揮には下の打点で拍をアピールするのと上の打点でアピールするのがあるそうだが、欧米の指揮者(といっても世界の一線で活躍しているのはほとんど欧米だが)は上の打点でアピールする人が多いのではないだろうか。誰か分析求む。

 私は今、足の指を意識して一本一本独立して動かせるようにしようと努力しているのだが、中指に関して動かせるどころかこれが中指という独立した感覚が無い。つねったりしても何も感じないという意味でなく、中指だけ手で動かしたときなどに「これが中指だ」という感覚が無いのだ。言葉で伝えるのが非常に難しい。これはなぜなのか。神経の問題なのか。疑問は尽きない。

 週刊少年ジャンプに連載中の『魔神探偵脳噛ネウロ』は人間の脳をトレースするなどという、怪しいながらも面白そうなことを言い出したので、そういうネタ系に食いついてくれそうな茂木健一郎を監修に招いたら面白いことになりそうな気がする。
あとそんなに究極の”謎”がほしいなら(ネウロという主人公の食物は謎)、世界最先端レベルの研究をすればそんなものはいくらでもあふれているのではと思う。まぁ少なくとも殺人事件のトリックなどという産廃みたいなものより、いい”謎”があるでしょう。漫画として成立しなくなるのでできないけど。

 友人のるしふぁが非常にいいことを言った。
この世は
1、(自分の)努力で解決するもの
2、金で解決するもの
3、時間が解決するもの
の三つしかない。2と3はお互いに可換(時間がなければ金で解決できるし、金がなければ放っておけばいい)だが、1だけは本当にどうしようもない。たまに天才に丸投げして解決することもあるであろうが、可能性は低いであろう。
そう、大学受験は(ある一定レベル以上の大学を目指すならば)まぎれもなく1なんですよ。このプレッシャーはすごいね。

 授業中寝ている人多いけど、寝ないコツを教えてあげよう。あと朝起きるコツも。
1、早く寝る
2、食べ過ぎない(脂っこいものなど消化の悪いものは論外。炭水化物などを取ろう)
3、「明日は○時に起きるぞ!」と意識して寝る。(遠足の日って寝坊しないでしょ?あれと同じ)
あと、個人的には今は睡眠中もずっと鼻呼吸にしようとしています。睡眠中はどうしても口が開いて口呼吸になってしまう。するといびきも出るし、よだれもたれるしいいことが無い。起きている間はすべて鼻呼吸にしたら、非常に快適。時々鼻が詰まって鼻呼吸ができないときは、まったく調子が出ない。冷房の風にダイレクトに肌をさらすと鼻風邪引くから気をつけたほうがいいよ。

 村上逮捕については言わなくてもいいかとおもったけど、友人有川が言及していたので僕も。
彼は非常に有能であり、彼を批判している人は彼より能力が劣っていることがほとんど。ようするに有能な人の足を引っ張っているに過ぎない。日本はそういう国だから仕方ないのかもしれませんが。星野とかいうDQNを筆頭にみんな感情的に村上を批判しているが、私としては感情的に村上を賞賛したいくらいだ。「やっぱりものづくりが重要」とか知った顔で言っているやつもいるが、ものづくりと同じくらい金融も重要に決まっている。いわば車の両輪のようなもの。はっきりいって金融や証券で日本は欧米にまったく太刀打ち出来ない。日本はただ作るだけになり、欧米に金融を支配されることになるのがわからないのであろうか。検察のヒルズ族一斉逮捕は、検察もすべての犯罪を取り締まることなど出来ないのだから、アナウンス効果を狙っているのだろうから仕方ない。「検察は犯罪を摘発するのではなく、作るのだ」みたいな言葉があったと思うけど、言い得て妙ですね。
村上にしろ堀江にしろ明らかに有能なので、さっさと再起してほしいですね。

今日の記事のタイトル
 浦沢直樹の漫画『YAWARA!』の9巻P.35のせりふ。まぁ内容ももちろんいいのだが、ここでは、何も考えず喋っているテレビ出演者を鋭く批判している点に注目したい。どういうことかというと、これは実況が「今回もまたあの奇跡が起こるんでしょうか?」と解説者に聞いている場面なのだが、そもそも奇跡に”また”などという副詞をつけるとは一体何を考えているのだろうか、ということです。東大の現代文の過去問でもテレビジャーナリズムの言語表現の問題点をついたものがあったが、テレビの言語表現はひどい。そしてマスコミにまで視野を広げると報道は偏向しているし、日本という国が嫌になってくる。